緑建設の社長ブログ『いつでも真向勝負!』
家づくりの裏表、包み隠さず話します
検索フォーム



カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30



カテゴリ



プロフィール

(株)緑建設 代表取締役  斉藤正臣(サイトウ マサオミ)

Author:(株)緑建設 代表取締役  斉藤正臣(サイトウ マサオミ)
生年月日 1973/1/20
血液型 A型
趣味 ゴルフ・スノボー
出身地 神奈川県相模原市
(旧津久井郡城山町)
建築業界 22年
(現場監督8年、営業職14年)
緑建設ホームページ
http://www.midori-kk.com/



お盆休みに母の実家である宮城県石巻市に行ってきました
甚大な被害をもたらした東日本大震災から、早いもので3年半が経過しようとしています。
以前もこのブログ上で書かせていただきましたが、私の母方の親戚の多くが石巻市内で暮らしており先の震災で被災しました(幸い、全員命は無事でした)。
http://midorikk.blog98.fc2.com/blog-category-20.html
http://midorikk.blog98.fc2.com/blog-category-43.html

いとこは津波で家も流されてしまったのですが、今年4月にようやく新居が完成し、そのお祝いを兼ねてこのお盆休みに宮城県の石巻市まで家族みんなで行ってきました。
親戚の皆はとても元気そうで、まずは一安心。

新居2_R

新居_R


親戚が被災して以来、食料品や衣類品、日用品を当社から定期的に送るなど、微力ながら私にできることをしてきたつもりでした。
ただ、実際に足を運んだのは今回が初めてで、やっと現地を訪れることができました。
復興の状況などをこの目でしっかり見てくることも、今回の訪問のもう一つの目的でした。


まず向かったのは母の実家のそばで、母の出身校でもある「大川小学校」。
ご存じの方もいるかもしれませんが、あの震災で多くの小学生と先生が津波にさらわれ、亡くなってしまった学校です。
周囲には集落もあったのですが、今ではその様子は全くなく、ほとんどが更地に。その中に鉄筋コンクリートの小学校だけがぽつんと残っている状態でした。もちろん廃校になっていて中に入ることはできないのですが、校門のそばにお線香をあげ、亡くなられた方々のご冥福を祈り手を合わせてきました。
私も幼少期に毎年何度も小学校の前を通っていたので、今でも土地鑑があります。まさかこの学校まで人をさらうほどの勢いの津波が到達するなんて……今でも信じられません。

【大川小学校周辺 震災前】
大川前

【大川小学校周辺 震災後】
大川後

【大川小学校 画像1】
大川小学校1_R

【大川小学校 画像2】
大川小学校2_R

【大川小学校 画像3】
大川小学校3_R

【大川小学校 画像4】
大川小学校4_R


次に向かったのは母の妹の家があった長面地区。このエリアは地震により地面が70㎝ほども下がってしまい、集落ごと海に沈んでしまった場所です。
3年以上が経ち、水がだいぶ無くなっている場所があるとは言え、依然として海岸線は水没したまま。
集落に通じる道も水没していて、一帯が立ち入り禁止になっており、結局、海のそばにあった母の妹の家の跡地までたどり着くことはできませんでした。
その昔遊びに行った時には、いっぱい家があったのに……。
家の近くまで様子を見に行けると考えていた私が甘かったです。

【長面地区 震災前】
長面前

【長面地区 震災後】
長面後

【長面地区 画像1】
長面地区1_R

【長面地区 画像2】
長面地区2_R


また、原発でも知られている女川町にも足を延ばしてきました。
ここも壊滅的な被害が出た町で、中でも七十七(しちじゅうしち)銀行女川支店の惨事は、ニュースでも報道されよく知られている話です。
地震の時、津波に備えて行員は2階建ての支店の屋上へ一時避難しました。
しかし津波はその屋上をもすっぽり飲み込み、大半の行員が命を落とすか行方不明になってしまったのです。
女川町を襲った津波は高さ20m近くと言われていて、銀行の近くにある高台(擁壁の上)にまで到達し、そこに建つ病院の1階にまで水が入ってきたそうです。
現在この銀行は完全に取り壊されていて、その跡地には献花台があるのみ。どこから流れてきたのか、この献花台のそばに横たわる4階建ての建物が、町を襲った津波のすさまじさを今に伝えています。

【女川町地区 震災前】
女川前

【女川町地区 震災後】
女川後

【女川町地区 画像1】
女川1_R

【女川町地区 画像2】
女川2_R

【女川町地区 画像3】
女川3_R


津波に襲われた旧市街地を見てきて、大川小学校のそばにあった母の実家が無傷だったことに、ただただ驚くばかりです。
家の前に堀のような水路があったこと、周囲が田んぼで家のある土地がちょっと高くなっていたことなど、地形の特性により母の実家は災禍を免れました。
水路と田んぼまで、津波が迫りましたが、そこで止まったそうで、床下に浸水する程度で助かったとのこと。
目の前の田んぼには、津波により多数の遺体が流れ着いたとのことでした。田んぼの前に立つと、震災直後に聞いたこの話を思い出し、胸が痛みました。

【入釜谷地区 母実家】
母実家1_R

【入釜谷地区 母実家】
母実家2_R


震災から3年半近く経過して瓦礫はほとんど無くなり、まだまだ更地が目立ちますが、だいぶ復興が進んでいるようでした。
亡くなられた方へのご冥福を祈りつつ、微力ながら、今後も私なりにできることを見つけていきたいと思います。
今回のお盆休みは、私の人生の中で大変心に残る3日間となりました。